こんにちは!英会話のNEW代表の岩崎です。

留学時代、ホストブラザー(右)と親友のバンドメンバーと

僕は高校2年生の時にアメリカに一年間留学して、ある程度英語が話せるようになりました。この一年の体験と語学力が基盤になり、帰国後も英語を続けたことで、シルク・ドゥ・ソレイユやYouは何しに日本へ?で通訳ができるようになったし、今でも英語でのコミュニケーションで困ることはありません。

先生の一言で「留学」を知る

留学を決める時に、今思えば不思議なタイミングがありました。

僕が小学校5年生の頃に両親は離婚しました。姉2人の3人兄弟姉妹で、2歳ずつ歳が離れているので、毎年の様に入学・卒業がありました。母は田舎の町役場に勤めるOL。祖父と祖母の助けもあったとはいえ、3人の子供を育てるのは本当に大変だったと思います。

高校1年生の時、僕は学校を辞めたい時期がありました。面白くないし、将来はバンドで食っていくと決めてたので、通う意味を見いだせなくなってました。その時の担任の先生は、織田先生という英語の先生でした。織田先生は面白くて好きだったので、僕はしょっちゅう織田先生の所に遊びにいってました。

ある時織田先生に、「学校おもろくないわー。もう辞めようかなー。」とボヤきました。すると織田先生は、「まあ、辞めたいなら辞めればいいけど、あんた英語とか洋楽好きなんだから、アメリカでも留学したら?」と、留学のパンフレットをポンっと見せてくれました。

真ん中がパンフレット。30年以上経ってもまだ持ってました。左右は当時の勉強していたノート

「へえ、留学かあ」と思いましたが、パンフレットを見ると、1年間の留学費用は103万円。僕の家にそんなお金があるはずもなく、「そういう選択肢もあるのか。まあ、ウチには到底無理じゃのう」くらいのものでした。ですが、その時のパンフレットの中にあった飛行機の写真は、今でもしっかり覚えているくらい、僕にとっては衝撃がありました。

不思議なタイミング – 祖父の死

その直後、離婚した父の父、つまり祖父にあたる人が亡くなりました。かなり高齢で大往生だったようです。その人は資産家だったみたいで、僕にも祖父の遺産が入ることになりました。


その額、なんと、100万円

おい、あとプラス3万円で留学できるじゃん(笑)

僕は母に頼み込み、この遺産を留学費用に当ててもらうことができました。

その遺産と、遺産を留学に使うことを17歳の僕に許してくれた母のお陰で、僕は一旦あきらめかけた留学をすることができたんです。

祖父の死に対して少し失礼な言い方かもしれませんが、あの時、あのタイミングで遺産を頂いてなければ留学は絶対になかったし、そうなると今の人生とは全く違うことになっていたと思います。

留学時代。高校3年生に編入し、無事卒業した日にホストブラザーと

不思議なタイミング、説明がつかないこと、偶然で済ませれないことって皆さんもあると思うのですが、僕の場合は英語に関わることでそういうことが、どうも多い人生なようです。

不思議なタイミング02 ー シルクドソレイユとの出会い
不思議なタイミング03 ー MediaUnboundとの出会い
不思議なタイミング04 ー 詐欺にあった話

などがあるので、今後また書いてみようと思います。

 

元通訳が「英語が話せるようになる学習法」を大公開

英会話のNEW代表・岩崎は、全く英語が話せませんでしたが、独自の学習方法を重ね、シルク・ドゥ・ソレイユや「Youは何しに日本へ?」で通訳、その後は同僚が全員ハーバード卒のアメリカのベンチャー企業で勤務。 そんな岩崎が考える「英語が話せる学習法」をこちらで公開中です。

あなたが英語を話せるようになる学習法とは?

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